ウンマ、アペク、レホブなど、二十二の町々と、それに属する村々があった。
そのほかの者はアペクの町に逃げこんだが、城壁がくずれて、その残った二万七千人の上に倒れた。 ベネハダデは逃げて町に入り、奥の間にはいった。
イスラエルびとは出てペリシテびとと戦おうとして、エベネゼルのほとりに陣をしき、ペリシテびとはアペクに陣をしいた。
ヘルカテとその放牧地、レホブとその放牧地など、四つの町である。
更にエブロン、レホブ、ハンモン、カナを経て、大シドンに及び、
南のアビびとの地、カナンびとの全地、シドンびとに属するメアラからアモリびとの境にあるアペクまでの部分。
アペクの王ひとり。シャロンの王ひとり。
ヨセフの部族すなわち、マナセの部族ではスシの子ガデ、
それから、その境はラマに曲り、堅固な町ツロに至る。またその境はホサに曲り、海に至って尽きる。そして、マハラブ、アクジブ、
これがアセルの子孫の部族の、その家族にしたがって獲た嗣業であって、その町々と、それに属する村々とである。
さてペリシテびとは、その軍勢をことごとくアペクに集めた。イスラエルびとはエズレルにある泉のかたわらに陣を取った。
アセルはアッコの住民およびシドン、アヘラブ、アクジブ、ヘルバ、アピク、レホブの住民を追い出さなかったので、
「人の子よ、あなたの顔をシドンに向け、これに向かって預言して、